前日に下見をしておいたので、スタート地点までは順調に辿り着いた。
むしろ、初参加のオーストラリア人親子が私のホテルの最寄駅で迷子になっており、俺に着いてこい的に案内したぐらいにこのレースのスタート地点には精通していたのだった。
(ところで何故だか私は旅先で道を訊かれることが多い)
しかし、予想外のことが1つ。
参加者の人数に比べてスタート地点の簡易トイレの数が極端に少なく、列に並んでから用を足すまで実に1時間、おかげで余裕を持って到着したつもりが、スタートラインに立ったのは出走5分前だった。
かなりやきもきした。
しかしですな、フルマラソン参加者17000人超えのシドニーマラソン、号砲が鳴った後もなかなか列は進まずに、ようやくスタートラインを通過したのは体感的には約10分後でありました。(後に公式記録を見たらロスタイムは7:17)
スタートラインからいきなり急な登り坂だったのだが、これは実は親切な暗示であり、暗喩だった。
と言うのも、コースマップをみる限りはほぼほぼフラットなコースに見えたのだが、実際にはアップダウンの連続に次ぐ連続、そして結構な急勾配も少なくない。
最初の10kmは抑え気味に入ったつもりだったのだが、延々と続く坂に思いの外脚が削られた感じがあった。最後まで脚が保つか、早くも不安だ。
そしてもう一つの敵が気温である。
猛暑を避けて南半球のレースにエントリーしたというのに、前日から猛暑に襲われたシドニーの予想最高気温は32度、陽向に出ると陽射しが強烈で、湿度は東京よりかなり低いとは言え、予想外の強敵現る、という感じである。
結論から言うと、このレースは粘りのレースとなった。
抑えたつもりの最初の10kmのペースが、その後の巡行速度となり、30km以降は失速しないように粘るギリギリの速度となったのだ。
暑さのせいか、疲労のせいか、或いはその両方か、30km手前から目眩がしてきたが、呼吸は苦しくないし、なんとか脚も動いているし、とにかく粘った。
スパートなんて夢のまた夢、しかし皆さん苦しいようで、抜かれるよりは抜くことが圧倒的に多くなり、それが折れかけた心をつなぎ止めてくれるのだった。
正にメンタルのレースである。
最後の最後、ゴールゲートのあるシドニー・オペラハウスまでも急な下り坂、疲れた脚に下り坂の着地衝撃と引力が滅茶苦茶キツいが、一歩も歩くことなくゴール!
多少のブレはあるが、最初から最後まで1km5:30前後のペースを保ったまま、走りきった。
ちなみに公式記録もガーミンと同じ3:51:17であった。
力を出し切った満足感と、自らの脚で長旅を終えた達成感、しかも目の前にはシドニー・オペラハウス、感慨もひとしおだ。
6月にコロナ罹患で走り込みが途絶え、7月と8月は記録的な猛暑でロング走が全く出来ず、2週間前に諏訪湖で行ったソツケン(という名の15kmビルドアップ走)でもサブ4を達成出来るかギリギリのタイム。
5月にエントリーした時には鼻息荒く3時間40分を目指そうと思っていたのに、調子は下がりっぱなし。
正直、撃沈も想定していたなかでのサブ4死守は、個人的には十分に納得の出来る結果だ。
欲張らずに上手くまとめた快心のレース運びだと言ってもいいかもしれない。
景色を楽しむ余裕は全くなかったけれど、それでも海外のレースを走るというのは、とても楽しい経験であった。
私にとってフルマラソンとは常に旅とセットなのだが、旅愁に異国情緒まで加わると、非日常感は極まる。
私は旅にもフルマラソンにも非日常感を求めているのだ。
そしてひとつのレースの終わりは、次のレースの始まりを意味する。
気が付けば秋の本命レースまであと7週間なのである。
今回のシドニーマラソンは勿論ひとつの目的であり、結果はひとつの達成ではあるが、次のレースの為の練習としてのロング走も兼ねているのだ。
怪我もなく、想定より速いタイムで走れたシドニー、次の本命レースへ向けて視界は良好だ。