Everything in Its Right Place(SUB3.5 or DIE)

マラソン(PB3:36:04)、バンド(ベース担当)、海外独り旅(現在26ヵ国)、酒(ビール、ワイン、ウイスキー)、釣り(最近ご無沙汰)をこよなく愛する後期中年者の日常。フルマラソン・サブ3.5を本気で目指すことにしてしまった。

富山マラソン2024

台風崩れの温帯低気圧の直撃を受け、季節外れの暴風雨となった富山に到着。

リスボン・マラソンから4週間、早くも今シーズン2レース目の富山マラソンを走るのだ。


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怪しげな週間予報が出ていたが、自称晴れ男の私は、なんとなく雨を避けられるであろう根拠の無い自信が1週間前からあった。

 

果たして本当に晴れたのだが、強風が残ったことと温帯低気圧がもたらせた温かい空気のせいでスタート時に20度まで気温が上がったことは誤算だ。

 

でも、昨日の大雨の中を走ることに比べたら天国じゃないか。

風も陽射しも高温も、土砂降りの雨に比べれば遥かにマシである。

私にはツキがある。そう思うことにした。


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正直、体調はイマイチ良くない。

前週ひいた風邪が抜けきらず、鼻水・鼻詰まり・咳が治まらないのである。

でも、帯状疱疹後遺症の神経痛を抱えた身体でリスボン・マラソンを3時間46分で走った私である。

その時に比べたら準備も体調も問題ないレベルだ。

 

ラソンとはメンタルのスポーツであり、このように気持ちを前に向かせることもレースマネージメントの一環なのである。

 

ホテルからスタート会場の高岡まではランナー専用バスで向かう。50分弱のドライブだが、堪え難い程の尿意を催してもじもじ。

バスを降りたら真っ先にトイレに向かって事なきを得たが、スタートまでに実に3度もトイレに行ったのだった。

水飲みすぎたのかな?

 

長くて無意味なセレモニーにスタートブロックで強制的につきあわされる。

このセレモニーの無駄さ加減に気が付いて、こんなものは止めようと言い出すまともな感覚の持ち主の関係者は出てこないものだろうか?

私が走った海外のレース、即ちシドニープラハリスボンも、市長の挨拶やら大会委員長のスピーチやらスペシャルゲストの応援メッセージやらゲストランナーの紹介などという無意味でくだらないものは無かった。

 

そんな訳で9時にスタートの号砲が鳴った時には高まっていた気分も白けて平常心に。

そうか、そういう意味ではこのセレモニーにも意味があるのかもしれない。

 

レースプランとしては入りの5kmを27分、その後5km26分(5:12/km)で巡航し、3時間40分を目標とした。

年明けにサブ3.5を狙う私としては、体調が万全でなかろうともそれぐらいを目指さなくてはならないと思ったのだ。

 

鼻水と鼻詰まりが厄介なのは口呼吸にならざるを得ないところで、最初の5kmで喉がカラカラになった。

結果的には1箇所を除き全てのエイドに立ち寄ることとなった。

 

しかしそれ以外は順調だった。

どこも痛くないし、気温は高めも風が冷たく発汗量も大したことはない。

先月ポルトガルで走った時よりも、明らかにコンディションは良い。

 

これが実に12回目のマラソンである。

身体に42kmという距離は染み付いているし、最早なんの不安もなく淡々と脚を前に出し続ける。

 

16km過ぎに、レイザーラモンHGのような奇声を発しながらランナーとハイタッチをしている人がいて、何事かと思ったら、かの有森裕子氏であった。

寡黙でストイックなイメージだったけど、本当はこんな人だったのかな?それともレースを盛り上げようと無理をしているのだろうか?

とりあえずオリンピアン・パワーを頂こうと、私も左手でハイタッチをした。

 

ところで、コースの丁度真ん中辺りに、富山マラソンのハイライトとも云うべき新湊大橋がある。

遠目にその橋が見えてきた時、やはり大きな橋を渡るシドニーのコースを思い出してテンションが上がってきた。

 

ところがその橋によって私はトドメを刺されることとなったのだった。

 

コースマップによれば橋の高低差は約50m。

色々とマラソンを走ったけど、50mの高低差とは然程珍しくもなく、ここが難所とは全く考えていなかった。

しかし、一気に50m上り、一気に50m下るとなると話は全く異なることを身を以て知ったのだ。

 

極端な急勾配ではないが、かと言って緩やかでもない上りが延々と続く。

自己過信か慢心か、或いは何も考えていなかったと云うべきか、この坂をペースを落とすことなく駆け上がってしまったのだ。

基本的に上り坂を走る時は、残りが見えてウンザリするのを避けるために視線を足元に落とし気味にして走るのだが、これも災いした。

 

上っても上っても上っても上っても上っても上っても上っても上っても上っても上っても上っても上っても上っても坂が終わらない。

心拍数は爆上がり、フラフラしてきても上り坂が終わらないのだ。

上り坂序盤に20km地点があり、終盤に中間地点があったと記憶しているので、上り坂は1km以上は続いたことになる。多分。

すると今度は間髪入れずに長い長い下り坂に見舞われる。

私は上り坂以上に下り坂が苦手なのだ。

シドニーでも熊本でも長野でも太腿が破壊され、足の爪が黒くなる爪下血腫を発症したのは下り坂のダメージのせいだ。

キツい。

キツいキツいキツいキツいキツいキツいキツいキツい。

強い着地衝撃が気になり始めると、ついつい腰が引け、余計に太腿に負担が掛かる負のスパイラル。

 

這々の体で橋を渡り終えた時に、私は橋に差し掛かる前とは違う自分になっていることを自覚しない訳にはいかなかった。

 

25km辺りからペースの維持が苦しくなり、30km辺りから徐々に失速しはじめた。

 

そして遂に35kmの手前で脚が止まった。

 

やっちまった。

歩いちまった。

 

わっかない平和マラソンで歩き倒した反省から、それ以降は後半型、つまりはネガティブスプリットを続けていたこの俺が、とうとう歩いてしまった。

 

唯一歩いたわっかないの時は体調は最悪で、尚且つ長距離耐性も今程なかったのでお尻と太腿も脹脛が猛烈に痛かった。

しかしどうしたことだろう?

今はどこも痛くないのに、そこまで体調が悪い訳でもないのに、私の脚は最早思い通りには動かないのだ。

 

一度歩くともう走り続けることは出来なかった。

再び走り出してもやがてまた歩いてしまう。

GOALが遠い。

レースは失敗が確定し、もうこれ以上走る意味など微塵も無いのに、私は誰にどうやってもうレースを止めたい意思を伝えればリタイア出来るのかが分からず、ゾンビ化した足取りで進み続けた。

 

完全に心が折れた私に対しても、沿道の人々が応援してくれるのが心苦しく、辛かった。

もう応援しないでくれ。と心の中で叫びながらノロノロ走り、そして歩いた。

地獄だった。

 

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ゴールした瞬間は落胆のあまり時計を見る気も起きず、ただ機械的にガーミンの停止ボタンを押した。

今までに味わったことのない、形容しがたい気持ちが沸き起こってくる。

 

あれ程止まりたかったのに、私は歩みを止めることなくフィニッシャータオルを受け取り、飲み物と食べ物を受け取り、屈辱の完走メダルを首に掛けてもらい、荷物を受け取った。


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良い天気だった。

みんなが笑っていて、お日様も笑っていて、ルールルルルッルーで、今日はいい天気だったが、私の心は土砂降りだった。

早く逃げ出したくて、着替えもせず、レースウェアに首からメダルとタオルをぶら下げた格好でホテルに向かって歩き続けた。


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フィニッシュ地点から駅までの道には沢山の出店やステージのようなものがあり、何かの催事が行われていた。

生ビールを売っている店があったので、勿論買い求める。

「完走おめでとうございます!乾杯!」

と笑顔でビールを手渡してくれたお兄さんに、恥にまみれた曖昧な笑みを返して受け取った。

結果はどうあろうとも、走った後のビールは美味かった。