Everything in Its Right Place(SUB3.5 or DIE)

マラソン(PB3:36:04)、バンド(ベース担当)、海外独り旅(現在26ヵ国)、酒(ビール、ワイン、ウイスキー)、釣り(最近ご無沙汰)をこよなく愛する後期中年者の日常。フルマラソン・サブ3.5を本気で目指すことにしてしまった。

東北みやぎ復興マラソン2023

9月のシドニーラソンは記録こそパッとしなかったものの、異国情緒と変化に富む美しい風景を満喫しながら楽しく走れたのでOKだし、この本命マラソンの前の脚ならしだと思えば最高の舞台であった。

 

10月になって朝の気温がグッと下がったら身体の調子がやたら良く感じられ、シドニーで距離に対する耐性もついたのか菅平高原での準高地ロング走も、設定より速いペースを楽にこなせて驚いた。その後調子に乗って練習を張り切りすぎ、3週間前に右膝を痛めてしまったのは余計だったけれど、なんとかレースには間に合った。

 

エントリーした時には3時間40分切りを目標に定めていたのだが、怪我の影響でポイント練習不足は明らか、ソツケン(という名の実力測定)も出来ておらず、今の私には3時間40分切りの5:12/kmペースで走り続けることは無謀な挑戦で撃沈しかねないと判断、目標は鹿児島マラソンで記録した自己ベスト3:44:42を1秒でもいいから更新することに下方修正した。

 

さて、当日の天候は曇り、最高気温は17℃予報、風も弱い見込みで、気象的には自己ベスト更新の条件は整った。


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ホテルから受付会場までは徒歩で20分強と微妙な距離、少しでも体力を温存しておきたいところだけど、良いウォーミングアップになったと前向きに捉える。

とにかくメンタルコントロールもフルマラソンにおいては大事なのだ。

 

受付会場のトイレ渋滞が酷く、また受付会場から整列場所までそこそこ距離があり、ようやくスタートラインに並んだのは9時10分のスタート時刻の僅か7,8分前で、既にセレモニーが始まっていた。あぶねー、9時スタートだったら間に合ってないじゃん!

 

控えめに号砲が鳴り、集団はゆっくりと前に移動。Dブロックの私のロスタイムは1分程であった。

 

道幅が狭くて最初の2kmは窮屈だったけど、スタートが細かくブロック分けされているからか似たようなペースを刻むランナーが多く、直に5:30/km前後のペースで集団は落ち着いた。

最初の10kmは正に5:30/kmペースで刻もうと思っていた私には丁度いいペースで、周りの人全員がまるでペーサーのよう。

 

ところが順調と思ったのも束の間、5km過ぎてから断続的な目眩に襲われた。

シドニーでも30km以降は目眩が酷く、また最近毎朝のランニングでも目眩を感じることが多い。

貧血対策はしているので、降圧剤の影響かもしれない。

 

目眩を感じると不安になるし、不安を感じると時間は長く思える。

そんな訳で、15kmまでが矢鱈と遠く感じたものの、ハーフの手前辺りから目眩は収まり、脚が勝手に前に出るような自動運転モードに突入した。

 

中間点通過は1時間56分。

鹿児島マラソンと全く同じタイムで、ここまではほぼ狙い通りである。

 

ところで15km辺りから延々と真っ直ぐ続く殺風景な道路は「東部復興道路」というそうで、変化のない単調な道はメンタルにキツいけど、2011.3.11の大震災の際にはこの一帯は津波に襲われて水没したのだという。今ではひたすらに荒涼な景色だが、震災前は集落が点在していたそうだ。

謂わばこれが東北みやぎ復興マラソンを象徴する道であり、景色である訳だ。

そう考えると、だだっ広く殺風景であるが故に、失われた世界的な凄みもある。

自分の中で風化していた311の記憶が蘇った。

走れることに感謝。

 

さて、30kmからは自己ベストの更新に向けて5:10/kmを切るペースに上げてみたが、そしてなんとか上げられはしたのだが、ベストを出した鹿児島マラソンの終盤に比べると余裕度が圧倒的に無かった。

 

少しでも気を抜くとタレてしまうようで、1km毎のスプリットが5:02だったり5:18だったりとバラバラだ。

 

鹿児島では37kmで更にギアを一段上げることが出来たのだが、今回は失速しないように粘るだけで精一杯。


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それでもラスト1kmで最速スプリットを記録、トータルでもネガティブスプリットを刻み、3時間46分03秒でゴール!

 

ゴールした瞬間に腕時計を見たら自己ベストから僅か20数秒しか遅れておらず、あと一踏ん張りが出來なかった自分自身にがっかりしたのだが、その後よくよく見たら実は1分半近く及んでおらず、2ndベストの青森の記録にすらも到達していなかった。

46が45に見えたのは老眼の哀愁。

 

鹿児島のような延々と続くアップダウンもなければ、飛行機が欠航するような青森の時の猛烈な向かい風もない恵まれたな条件にも関わらずこの結果は、惜しいと言うよりはそもそも記録更新を狙うには無理だったと考え方を切り替えて、充分な調整が出来なかった割には卒無くまとめることが出来たと、自らの敢闘を祝福することにした。私は褒めて伸びるタイプの人間なのだ。

 

しかし、膝を痛めることなく、予定通りのメニューをこなせていたら、言い訳の出来ない調整が出来ていたら、果たして自己ベストは出せていたのだろうか?

 

答えは次のレースに持ち越しだ。