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金子光晴「どくろ杯」読了

明治生まれの反骨の詩人、金子光晴の自伝であり、旅行記

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しかしこれはただの旅行記ではない。

幼い息子を妻の実家に預け、妻を伴い、殆ど金も持たぬままに海外逃亡、結果7年に及んだ放浪の序盤である。

と書くと、沢木耕太郎深夜特急のようだが、そんなにスタイリッシュなものではない。

無計画、無軌道、無謀、極貧、無頼派的な地獄の行進だ。

 

時代は大正、はいからさんが通るの世代だが、そんな時代にこんな旅をしたとは俄に信じがたく、自伝でありながらもなんとなく小説的である。

 

ところで、確か花村萬月の言葉だったと思うが、「陳腐な比喩が文章の賞味期限を短くする」というような意味の事を何処かに書いていた。

これは、学生時代に夢中で読んだ村上春樹の小説を読み返すと、比喩が煩くて興醒めする私には納得しかないのだが、

 

「振袖に、胸高帯の、いずれも大柄な、うんこの太そうな女たちが踊っていた。」

うんこの太そうな女たち!?

ここまで強烈な比喩なら、色褪せるどころか長い時間が経過して尚、凄まじいパワーを持ち得るのだと学びましたよ。

 

この作者、詩人なので、散文なのにアフォリズムのような、印象的な文が随所に出てくる。

 

「人間の愚にもつかない恐怖心のおののきをみているほど、たのしいことはない。」

 

「唇でふれる唇ほどやわらかなものはない。」

 

「神はいつも、悲劇のもとしかつくり出さない。」

などなど。

 

しかし、読めない漢字、知らない単語、翻訳してないカタカナ外来語が多く、とても読みにくかった。

そして全編を貫くどうしようもない暗さ、無軌道さ、無鉄砲さ、閉塞感から、読んでいて苦しくもある。

 

この旅の続き、フランス滞在を描いた「ねむれ巴里」、東南アジア放浪を描いた「西ひがし」と2冊の続篇があるのだが、もう付き合いきれないような、でもこの旅路を最後まで見届けたいような、アンビバレントな想いを抱えている。

 

いずれにせよ不思議な読後感ではある。

 

ちなみに本職である詩も何篇か読んでみたが、私の低い読解力ではあまりにも難解で、まるで外国語を読んでいるかのようにちんぷんかんぷんであった。