昼休み、会社を抜け出し近隣の形成外科にてリハビリ&ケア。
その後は護国寺のMENSHOリベンジを企んでいたのだが、土砂降りの通り雨に出くわして病院で足止めされること20分以上。
参ったな、MENSHOで並ぶ余裕なくなっちゃっよ。
こういう時こそ、近い、混まない、味はそこそこというキャッチフレーズでお馴染みの、便利な便利なコンビニエンスラーメンレストラン、たかちゃんらーめんの出番である。
本日のオーダーは味玉つけ麺900円。
マタオマレベルにすら到達しない、急遽の凡庸さである。
麺が凡庸、スープが凡庸、チャーシューが凡庸、メンマが凡庸、味玉が凡庸、不味くはないのだけれど、特筆すべきが何もないのだ。
しかし、これを最高に旨いと思うラーメン好きは多分いないと思うが、一方で不味くてとても食えたものじゃないと思うラーメン好きも、おそらくいないのではないか?
例えばジロリアンにとって最高のご馳走であるラーメン二郎は、一部の美食家たちからは豚の餌と揶揄されるし、天下一品のこってりはくどくて食えないという人もいるし、辛いのが苦手な人には中本なんて罰ゲームみたいなものだろうし、博多豚骨の猛臭が苦手な人も少なくない。
そういう意味では凡庸さとは、普遍性の別名でもある。
全ての料理人が、天才である必要はないのだ。
そして私自身も凡庸な存在なので、私の中の凡庸さとこのラーメンは不思議に呼応するのかもしれない。