出雲大社参詣。
著名な観光地もコロナ騒ぎでガラガラと聞いていたのに、出雲大社は大いに賑わっている。
疫病が流行る時こそ神仏を恃みたくなるのはいつの世も同じか。
どんよりとした曇り空から、私が鳥居をくぐった直後に大粒の雨が落ちてきた。
これは神からの拒絶と受けとるべきなのだろうか。
しかし、雨を吉兆と見なす験担ぎもあるそうだ。
どうでもいい。
私は神を感じるために来たのであって、願い事をする為に来たのではない。
私は神を感じることに成功しましたよ。
コロナ禍なんてフィクションでないかと思える程の人手、皆さん何事かを熱心に祈っている。
もしも私が神だったら、イチイチ聞いてられないだろうな。
神、もしくは神的な何者かは、確実に存在する。
しかし、神、もしくは神的な何者かは、私や貴方とは関係がない。
つまり、お願いする対象ではないのだ。
感謝だけを伝えればいい。
thank god it's friday!
遠藤周作の「沈黙」が教えてくれるのは、つまりはそういうことではないか。
ちなみにこの建物は神無月、つまり出雲では神在月に、全国から来た神々がとまる宿だそうだ。
神在月に来たら、パワースポット感マシマシになるのだろうか?