持病の薬をもらうために、月に一度の病院通い。
ついでに早めのランチを神楽坂の天下一品にて。
黄金色に輝く泡立つ炭酸飲料。
ラーメンこってり麵硬め。
半チャーハン。
旨い。
最高のマリアージュであります。
天下一品のスープは食べ物なので、当然の如く完食完飲。これは決して愚行ではない。
嗚呼、旨かった。
また近々。
揃って午後半休を取得し、16時の開店時刻の10分前からサマーな後輩(仮名)と連れ立って、埼玉屋に並ぶ。
いつもの如く、ポール・ポジションをゲット。
いつものように最奥のカウンター席に陣取り、私は生ホッピー、サマーな後輩(仮名)は生ビールをオーダーして、本日の激情型もつ焼き劇場の開幕である。
ベリーレア?
これまたいつものように大将の確認から焼き物スタート。
半生の霜降り和牛串に、1本目からノックアウト。ヤバい。とろける旨さだ。
続いて上シロ、レバー、ハツ、ネギマ、チレガーリックバター、タン、カシラ、正肉サルサソースの9本セット。
一品料理はお通しのクレソンと大根のサラダ、ポルコ(豚の耳オリーブオイル)、牛タタキ(常連限定イリーガルスペシャル)、レバーステーキ、牛肩ロースの煮込み(もつ煮と言って大将に激怒されたのは良い想い出)、パン。
ジュニアに勧められてシロタレ追加で腹パンパン。
レモンサワーも何杯飲んだろうか、酔い加減もいい感じ。
旨い料理と旨い酒、大将とジュニアと若女将のホスピタリティ、年に数回訪れるだけの決して常連とは言い難い我々だが、かれこれ10年以上も通っている大事な店、心の底から充たされた。
会計を済ませて店を出ると、大将が見送りに出てきてくれる。
美味しい料理と酒に感動してもらいたい、という大将の言葉に嘘偽りはなく、美味しい料理と酒に心底満足したという我々の言葉にも嘘偽りはない。
時節柄握手が憚られる時期、大将が差し出す拳とグータッチをして店を後にした。
愛すべき、最高の店である。
私が愛せない方々を、この聖なる場所に連れてくることは絶対にないだろう。
店を出てもまだ6時。
薄暮の東十条の街は場末の哀愁が漂う。
下品な店でビールを飲んで帰ろう。
うってつけの店が駅前にあった。
唯一の誤算はトイレにウォシュレットがなかったことだが、それがむしろ私にアジアの国をリマインドさせ、そうだ、世界は不便であるのが当然なのだと、忘れかけていた感覚が甦った。
そしてくだらないヤツが威張るのがこの世の常だが、くだらないヤツは少なくとも俺達の世界からは排除しようと強く思うのだった。
かすみがうらマラソンの翌日、有給を取得しなかった己の浅はかさを呪いながら脚を引き摺り引き摺り出社。
左臀部と両前腿が痛み、特に階段を降りるのがキツい。
しかし、安静よりもアクティブレストの方が回復は早かろうと、痛む脚を引き摺りながらランチはわざわざ早稲田の巌哲へ遠征。
中華そば肉増しで、元気をチャージしようではないか。
ガーン(死語)。
空席確認をしてから店を目指したというのに、店の前には学生らしきうだつの上がらない男女混成6人組が並んでいたのだった。
群れる輩は大嫌いだが、とは言え群れるのは若者(とゴルフ親父)の特権だとして容認するにしても、カウンター10席の店に6人連れ立って来るって、君たち馬鹿なの?
とてもじゃないけどこんな列に接続する気分になれない私は、踵を返して徳島ラーメンの店、うだつ食堂へ。
しかし、誰だろうと何人組だろうと、食べたい時に食べたいものを食べる権利はあるわけだが、今日だけはフルマラソン走って疲れ果てたこの哀れなおじさんに、心穏やかに巌哲のラーメンを食べさせて欲しかったぜ。
はい、こちらがうだつ食堂の肉玉中華そば。
最早カーボローディングは必要ないのに、怒りの大盛にしてしまった。
ちょっと甘味が強いのがアレなんですけど、ま、ご当地感全開の徳島ラーメンは、それなりに悪くないのであった。
うん、悪くない。
この味を求めてわざわざ早稲田くんだりまで遠征しようとは思わないが、巌哲のバックアップとして消去法的に訪れるならアリだ。
そんな訳で、巌哲行列の際は、またお世話になります。
レース翌日、オンラインで記録証を受け取った。
手元のガーミンでは3時間59分15秒だったが、公式記録はグロスで4時間0分22秒、ネットで3時間59分18秒、堂々とサブ4とは言えないが、一応サブ4とは言える、なんとも微妙な記録だ。
42km、4時間走って僅かに22秒超え、悔しいなんてもんじゃない。
一発勝負のレースに「もし、あの時」はないのだけれど、もし序盤で脛が攣らなければ、もし元気な時にあと5秒ペースを上げていたら、もしカーボローディングをもう少し控えめにしていたら(3日で2.7kgも肥った上に酷い下痢を発症した。一般に1kg増えるとマラソンのタイムは3分遅くなると言われる)、等々、考えても仕方のないことを、くよくよと考えてしまう。
なにしろ天気が不安定な4月開催のレースだったのに、暑くもなく寒くもなく雨も降らない、気象的には恵まれた条件だったのだ。
つまりは天に味方されていたはずなのだ。
しかしその一方で、喜びや達成感も時間の経過とともに、じわじわと湧いてきたのだった。
そもそも2ヶ月前にはサブ4なんて考えてすらいなかった私が、ネットとは言えサブ4出来たこと、練習でも30kmまで、それも最後に30km走ったのは2021年2月であり、この1年は最長でも21kmまでしか走っていなかったのに、初マラソンで42kmを歩くことなく完走出来たこと、これだけでもひとつの達成ではある。
何しろ生まれて初めてのフルマラソン、仮に大撃沈して4時間30分かかったとしても、いや、5時間を超えたとしても、それでも自己ベストではあったのだ。
悔しさは次へのモチベーションになる。
兎にも角にも自分が42km走れることは分かった。マラソンに失敗はあっても、まぐれは無いという。つまり、やってきたことは間違いではなかったことが証明されたのだ。
これからもコツコツと練習を重ねて、秋のレースではグロスのサブ4を絶対に達成しよう。
いや、それじゃ歯応えがないな。
目標は3時間50分だ!(勿論ネットタイムでね!)
そしてレース中は自分のことで精一杯で周りを見る余裕が全くなかったけど、時間が経つにつれてレースというものの素晴らしさに、後れ馳せながら感動してきたのだった。
地元にお住まいの方々の沿道からの声援(もの凄い人数!)、距離表示のボランティアの皆さんの声援、エイドステーションのスタッフの声援、そして同じゴールを目指す多くのランナー達との共演。
私のこれまでの人生で、これ程までに誰かの応援を受けたことはなく(逆はある)、これ程多くの人達と同じゴールを目指したこともなかった(逆はあった)。
この日、この場所とこの時間を共有した全ての人達に感謝したいような、今まで味わったことのない種類の感情を抱いた。
ランナーにとって、いや、一般的に言ってフルマラソンを走ることは、特別な体験である。
そのランナーに特別な体験を提供してくれる主催者もスポンサー企業もボランティアも沿線の住民の方々も、ランナー・ファーストで実に献身的であり、都民ファーストの会などという厚顔無恥な政党名を付けて悦に入っている自分ファーストの劣悪政治家とは真逆のホスピタリティにひたすら感じ入ったのだった。
振り返って改めて思うことは、マラソンレースに出場し42.195kmを走るって、本当に得難い体験だった。
大袈裟でなく人生観が変わるような体験を、この年齢になって味わえたことは、間違いなく私の財産であろう。
多くの人がフルマラソンにハマる理由が、自分で走ってみてようやく理解できた。
ま、逆に走る奴の気が知れないという気持ちも充分に理解できるんだけどね、1年半前までそう思ってたもので。
半世紀以上もうっかりと生きてしまって、残り少ない人生、色んなレースを走ってみたいと貪欲な欲求も湧いてきた。
ゴールしたら走ることへの情熱も燃え尽きるかもしれないと考えていたフシも一方ではあったのだけど、微妙に目標に届かなかった充たされぬ思いから、月曜日休んだだけで火曜日からリハビリランニングを開始し、むしろ今まで以上に走ることに夢中になりそうな勢いだ。
早くも秋以降のマラソンシーズンが楽しみである。
さて、どのレースを狙おうかな。
土曜日。
かすみがうらマラソンに向けて出発する前に、最後のカーボローディングを実行すべく、川崎大師参詣。
目指したのはこちらのお店、ラーメンショップ大師店であります。
中ネギチャーシュー、麺硬め(1270円)プラス岩のり(150円)。4月より値上げとなったそうで、巌哲の肉塩より高くなってしまったw。
俯瞰でもう1枚。
並盛の丼はいつものラーショの骨壺を思わせる淡緑色の浅底丼だったが、中盛の丼は深みのある漆黒の陶器の丼に変わっていた。
そして深みのある漆黒の陶器の丼で供される中ネギチャーシュー麺は、いつもよりスープがぬるくないのであった。
更にこの日はスープがいつになく濃厚で、麺とネギとチャーシューはいつも通りに旨く、気紛れに乗せた岩のりトッピングも良い味出してて、一言で言えば椿直系のメチャクチャ旨いラーショの一杯だった。
車で来てしまったのでビールを我慢せざるを得なかった点を除けば、完璧なランチだ。
最近ラーメンショップ高田店や、ラーメンショップ川崎水沢店などの新規開拓も行ったけど、ここラーメンショップ大師店、武蔵小金井のラーメンショップ椿、上野毛のなかむら屋が我がラーショ系不動のスリートップであることを再確認した。
次は電車で来てビールも飲もうっと。
会社帰りに蒲田のサイゼリヤに立ち寄ると、なんとラーメン二郎のような、いや、ファミリーが多いので客層は異なるが、とにかく大行列が形成されていてビックリ。
スタグフレーションの世の中にあって、サイゼリヤとは庶民のオアシスなのだろうか。
私の目的はサイゼリヤではなく、ピッツァとパスタでカーボローディングを行うことだったので、サイゼリヤの行列には接続せず、地元に戻りイタリアンのMARCOへ。
生ビール、一気飲み。
ニンニクブロッコリー。
旨いのよ、これが。
たまらずビールお代わり。
ピッツァ・マルゲリータ。デカイ!
旨い!
旨い。
パスタ・オルトラーナ、旨い!
締めて6006円はサイゼリヤよりかなり高いけど、料理とワインのクオリティとクオンティティを考えれば、まずまずのリーズナブル・プライスだ。
とても感じの良い女性店員さんに、「トマトソースがお好きなんですね」と言われた。
確かに、ピッツァもパスタも店員さんのお薦めを無視してトマトソースを頼んでしまったのは、赤ワインと料理との相性云々以前に、カーボローディングのことしか考えていなかったので偶然にトマトソースが重なってしまっただけなのであった。
とても感じの良い女性店員さんのお薦めを試すべきだったかな。
問題は、レースが終わってしまえばカーボローディングの必要性はなく、むしろ夕食では糖質を抑える生活が戻ってくる訳で、再訪の機会は相当先になりそうだということ。
ピッツァとパスタを1人で食べるなんて、普段はまずやらないのだ。
登山のオフシーズンの体力維持にと本格的にランニングを始めたのが2020年10月。
以降、登山よりもランニングの方が面白くなってしまい、山には一切行かず(登山とは実に短い趣味だった)、あれ程好きだった釣りに行く回数もどんどんと減り、走ることに夢中になっていたら、月間走行距離が250kmを下回ることがなくなっていた。
力試しにフルマラソンに挑戦しようと2021年10月の松本マラソンにエントリーするも、コロナで中止。
2021年11月の黒部名水マラソンも中止。
2022年2月の湘南国際マラソンも中止。
4度目の正直となったかすみがうらマラソンで、いよいよフルマラソンデビューを果たせることとなった。
3日前に誕生日を迎えたばかりだし、メモリアルな初マラソンにしなくては。
2月の湘南国際マラソンでは、キロ6分ペースの4時間13分を目標に掲げていたのだが、練習期間が延びたことで走力が上積み出来たと前向きに捉えて、いっちょデビュー戦でのサブ4やったるか、と、4時間切りを目指すことにした。
何しろ残りの私の人生で、一番若いのは今なのだ。
イケル時にはイクべきだ。
土浦の鄙びたホテルに前泊、翌日の準備を抜かりなく。
カーボローディングをやり過ぎて、そこそこ酷い下痢を発症したものの、正露丸を用量の2倍服用し、朝ホテルで3回、スタート地点近くのコンビニでも用を足し、なんとか便意は治まった。
スタート時の気温は10度、天気は晴れ。
風も弱く、まずまずのコンディションと言えそうだ。
混雑回避のために5分おきのウェーブスタートを採用した本レース、私の属する第2ウェーブは9:50スタート。
集団の真ん中あたりで待機するが、号砲が鳴ってもなかなか集団は動き出さない。
ようやくスタートゲートを通過したのは、号砲の1分半程後だった。
しかし、人混みが凄くて走るというより早歩きのようなペースが暫く続く。
1km過ぎで左に曲がると早くも最初の難所、急な上り坂の橋を渡る。
橋の道幅はそれまでの道路よりも狭くなっており、再び大渋滞。
ここで人を縫うようにジグザグに走ったのが悪かったのか、いきなり左右の脛が疼き始めた。
まずいな。
いやな予感は現実のものとなり、3km地点で両方の脛がパンパンに張って激痛が。悪癖の前脛骨筋痛が、よりによって両脚同時に発症する最悪の事態で、テンション激落ちである。
脛が痛むと足首の柔軟性も下がり足音が大きくなるので、ペースを落とさざるをえない。
こんな序盤でレースプランが崩壊するとは思いもよらなかったけど、これは序盤に突っ込むなというマラソンの神のメッセージなのだと思うようにして切り替える。痛みに耐えて走り続けていれば5,6kmで痛みは治まるはずだ。
しかしながらこの日の前脛骨筋痛は執拗で、痛みが無くなったのは14km過ぎだった。
ここで一気に遅れを取り戻そうとするのは危険なので、5分30秒前後の当初の想定ペースを維持する。
中間点を通過した時、手元のランニングウォッチでは2時間ジャスト、前半で2~3分の貯金をするプランは失敗したけど、アクシデントがあった割にはなんとか上手く纏めたとも言える。前向きに前向きに。
30km通過。
私の人生最長ランニングは30kmなので、ここからは未知の領域だが、心肺も体力もまだ余裕がある。いけるぜ、42.195km!フルマラソン恐るるに足らず!
しかし何が起こるかわからないのが長丁場のレース、34km手前で誰かに後ろから膝カックンをされたかのように、突然右膝がガクッと崩れ、つんのめって手をついた。何だ?何が起こった?
エイド以外で初めて止まり、膝の屈伸を数回。右膝に力が入らない。
様子を見るように少しペースを落として走りだす。
いつまた膝が崩れるかもしれないという恐怖、恐る恐るという走りで34kmから35kmのラップが5分50秒まで落ちた。
さすがにこれは遅過ぎる、次のラップは頑張って5分40秒まで戻す。
しかし、無意識に右膝を庇うような走りになっていたようで、異変は左臀部に起こりつつあったのだった。
激痛。
37km過ぎで、左臀部の違和感は激痛に変わった。
くそ、あとたったの5kmなのに、尻が痛くて脚が上がらない。
もう右膝なんか庇ってられない。左脚が前に出ない分、右脚で強引に引っ掻くように走る。
身体は傾き、左右の歩幅も違うみすぼらしい走りだけど、必死にもがくように走る。
don't walk, run!
(ラスト7kmのスプリット、あの苦しさが甦る)
痛みに耐えながら必死の瀕死の走りを続けていると、ゴールゲートが見えてきた。
埋め込まれた電光掲示板のストップウォッチは、今まさに4時間に到達したところだった。
私は、アラン・シリトーの小説の主人公のように、ここで走るのを止めようかと一瞬考えたが、考えているうちによろけるようにしてゴールゲートをくぐったのだった。