レース翌日、オンラインで記録証を受け取った。
手元のガーミンでは3時間59分15秒だったが、公式記録はグロスで4時間0分22秒、ネットで3時間59分18秒、堂々とサブ4とは言えないが、一応サブ4とは言える、なんとも微妙な記録だ。
42km、4時間走って僅かに22秒超え、悔しいなんてもんじゃない。
一発勝負のレースに「もし、あの時」はないのだけれど、もし序盤で脛が攣らなければ、もし元気な時にあと5秒ペースを上げていたら、もしカーボローディングをもう少し控えめにしていたら(3日で2.7kgも肥った上に酷い下痢を発症した。一般に1kg増えるとマラソンのタイムは3分遅くなると言われる)、等々、考えても仕方のないことを、くよくよと考えてしまう。
なにしろ天気が不安定な4月開催のレースだったのに、暑くもなく寒くもなく雨も降らない、気象的には恵まれた条件だったのだ。
つまりは天に味方されていたはずなのだ。
しかしその一方で、喜びや達成感も時間の経過とともに、じわじわと湧いてきたのだった。
そもそも2ヶ月前にはサブ4なんて考えてすらいなかった私が、ネットとは言えサブ4出来たこと、練習でも30kmまで、それも最後に30km走ったのは2021年2月であり、この1年は最長でも21kmまでしか走っていなかったのに、初マラソンで42kmを歩くことなく完走出来たこと、これだけでもひとつの達成ではある。
何しろ生まれて初めてのフルマラソン、仮に大撃沈して4時間30分かかったとしても、いや、5時間を超えたとしても、それでも自己ベストではあったのだ。
悔しさは次へのモチベーションになる。
兎にも角にも自分が42km走れることは分かった。マラソンに失敗はあっても、まぐれは無いという。つまり、やってきたことは間違いではなかったことが証明されたのだ。
これからもコツコツと練習を重ねて、秋のレースではグロスのサブ4を絶対に達成しよう。
いや、それじゃ歯応えがないな。
目標は3時間50分だ!(勿論ネットタイムでね!)
そしてレース中は自分のことで精一杯で周りを見る余裕が全くなかったけど、時間が経つにつれてレースというものの素晴らしさに、後れ馳せながら感動してきたのだった。
地元にお住まいの方々の沿道からの声援(もの凄い人数!)、距離表示のボランティアの皆さんの声援、エイドステーションのスタッフの声援、そして同じゴールを目指す多くのランナー達との共演。
私のこれまでの人生で、これ程までに誰かの応援を受けたことはなく(逆はある)、これ程多くの人達と同じゴールを目指したこともなかった(逆はあった)。
この日、この場所とこの時間を共有した全ての人達に感謝したいような、今まで味わったことのない種類の感情を抱いた。
ランナーにとって、いや、一般的に言ってフルマラソンを走ることは、特別な体験である。
そのランナーに特別な体験を提供してくれる主催者もスポンサー企業もボランティアも沿線の住民の方々も、ランナー・ファーストで実に献身的であり、都民ファーストの会などという厚顔無恥な政党名を付けて悦に入っている自分ファーストの劣悪政治家とは真逆のホスピタリティにひたすら感じ入ったのだった。
振り返って改めて思うことは、マラソンレースに出場し42.195kmを走るって、本当に得難い体験だった。
大袈裟でなく人生観が変わるような体験を、この年齢になって味わえたことは、間違いなく私の財産であろう。
多くの人がフルマラソンにハマる理由が、自分で走ってみてようやく理解できた。
ま、逆に走る奴の気が知れないという気持ちも充分に理解できるんだけどね、1年半前までそう思ってたもので。
半世紀以上もうっかりと生きてしまって、残り少ない人生、色んなレースを走ってみたいと貪欲な欲求も湧いてきた。
ゴールしたら走ることへの情熱も燃え尽きるかもしれないと考えていたフシも一方ではあったのだけど、微妙に目標に届かなかった充たされぬ思いから、月曜日休んだだけで火曜日からリハビリランニングを開始し、むしろ今まで以上に走ることに夢中になりそうな勢いだ。
早くも秋以降のマラソンシーズンが楽しみである。
さて、どのレースを狙おうかな。