著者あとがきの冒頭に、「ノンフィクション作家は、常に二つの罪を背負う」とある。
ひとつは書くことの罪、もうひとつは書かぬことの罪。
これは書かぬことの罪を重く見た著者が、3年の月日をかけ、文字通り命をかけて書き上げた、凄まじいノンフィクションだ。
女帝小池百合子。
ところどころ主観が客観を上回り、ノンフィクションとしていかがなものか?と思うところが無いでもなかった。
しかし、私はここに書かれていることを、著者の主観を含めて真実だと思う。
何故なら原則的に常々私が思っていた通りの人間像が描かれており、更に彼女に対して感じるモヤモヤとした不快感をはっきりと言語化してもらったように思えるからだ。
唯一想像と異なったのは、想像以上に悪辣な人間性だった、ということだけ。
ノンフィクションは途中からまるでサスペンスのようなスリリングな展開となり、そして読むに堪えないような悪辣劣悪な方向に進む。
小池支持者の殆どは恐らくこの本を読まないだろうし、この本を買うような人間は元々小池百合子に投票することはない人が多数だろう。
しかし、それでも、次の東京都知事選に少し期待している自分がいる。
再選は不可避なのだとしても、せめて思わぬ苦戦を強いらてくれたりしないだろうか。
4年前の都知事選の苦い記憶が甦った。
自民党は石原親子の自爆で勝手に消えてくれたが、野党統一候補として鳥越俊太郎が担がれたことに納得がいかなかった。
キャスター出身者の鳥越氏をぶつけることは、小池の土俵に登るようなものじゃないか。
しかも鳥越氏の選挙運動は絶望的に酷かった。
他人の応援演説頼みで自分の言葉がない、テレビの討論番組に出れば手書きのフリップの字が汚すぎて読めない、話に具体性も一貫性もない、私は真剣にこの人は脳に重大なダメージを受けているのではないかと心配になった程だ。
おまけに女性スキャンダルまで飛び出す始末で結局自爆。
結局都知事選以降、鳥越氏は自らのキャスターとしての商品価値を下げてしまったのか、テレビで見る機会は激減したように思う。
鳥越氏に譲って無念の出馬取消を決断した宇都宮健児氏の心中を察してあまりある。
私が支持していたのは勿論彼である。
結局私は怒りの白票を投じた。どうにも気分が収まらなかった。
そういう意味では、今回は山本太郎が余計なことをしてくれたな、という気分だ。
彼は勉強もしているし、行動もするし、理念もある。
上手く小池票を食ってくれればいい。
しかし、こういうスペックの人が食っちゃうのは、むしろ宇都宮票なんじゃないの?という疑問が消えないのだ。
山本太郎には、ドクター中松のように選挙とみれば何でも立候補するのではなく、国政一本に絞って頂きたいものだ。
さて、そんな小池百合子氏が稀に見るタイプの悪党か、というと、実はそんなことは全くない。
残念ながらこの手の人は一定の割合で何処にでもいる。
勿論、私の周りにも少なからずいる。
系統的にこの人種を捉えたい方は、アメリカの精神科医/カウンセラーのマーサ・スタウト著「サイコパス・ネクストドア」(邦題「良心をもたない人々」というのはイマイチだ)を読まれることをお勧めする。
知識を得て訓練すると、この手の人を高確率で見分けられるようになります。
しかし、もし見分けることが出来ても、対処法は無いのだけど。
出来ることは、見つけたら一目散に逃げることのみだ。