Everything in Its Right Place(SUB3.5 or DIE)

マラソン(PB3:36:04)、バンド(ベース担当)、海外独り旅(現在26ヵ国)、酒(ビール、ワイン、ウイスキー)、釣り(最近ご無沙汰)をこよなく愛する後期中年者の日常。

after fishing

私にとっては、釣った魚を美味しく頂くまでが、釣りなのであります。

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賑やかな台所。真鯛が小さく見えるのは、ホウボウとタチウオが巨大だからだ。


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タチウオ塩焼き。サンマ皿からはみ出すデカさだが、この大きさで僅かにエラから肛門までの部位を使ったのみ。 

脂ノリ過ぎで胃がもたれ、半分残した。


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タチウオの炙り、before。


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after。

一尾とは思えない取れ高、初日はこれだけで腹一杯に。


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一晩寝かせた真鯛の刺身。

やはりこれは究極の美味であります。


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ホウボウのムニエル、バルサミコソース。

加熱してギュッと締まったホウボウはとても旨い。

 

真鯛1枚とホウボウの半身を実家に差し入れても、食べるには充分過ぎる量。

船上で感じていた「釣れていない感覚」とは、相対性理論がもたらせた錯覚だ。

 

釣り上げた喜びが帰宅すると持て余し感に変わる大物を、鯛しゃぶと味噌漬けで片付けるロマンの代償としてのプロセス、そして刺身で旨い1kg以上2kg未満を釣り人の特権を意識しながら味わうプロセス、これらいずれもがタイラバの一部だ。

 

fishingもafter fishingも、その意味は味わうことにこそあるのだと私は思っている。