私にとっては、釣った魚を美味しく頂くまでが、釣りなのであります。
賑やかな台所。真鯛が小さく見えるのは、ホウボウとタチウオが巨大だからだ。
タチウオ塩焼き。サンマ皿からはみ出すデカさだが、この大きさで僅かにエラから肛門までの部位を使ったのみ。
脂ノリ過ぎで胃がもたれ、半分残した。
タチウオの炙り、before。
after。
一尾とは思えない取れ高、初日はこれだけで腹一杯に。
一晩寝かせた真鯛の刺身。
やはりこれは究極の美味であります。
ホウボウのムニエル、バルサミコソース。
加熱してギュッと締まったホウボウはとても旨い。
真鯛1枚とホウボウの半身を実家に差し入れても、食べるには充分過ぎる量。
船上で感じていた「釣れていない感覚」とは、相対性理論がもたらせた錯覚だ。
釣り上げた喜びが帰宅すると持て余し感に変わる大物を、鯛しゃぶと味噌漬けで片付けるロマンの代償としてのプロセス、そして刺身で旨い1kg以上2kg未満を釣り人の特権を意識しながら味わうプロセス、これらいずれもがタイラバの一部だ。
fishingもafter fishingも、その意味は味わうことにこそあるのだと私は思っている。