四半期に一度はサマーな後輩(仮名)と東十条の埼玉屋(もしくは赤羽の米山)を参詣する。それが信者たる我々の勤めだ。
勤めといいつつも、最高に旨い酒と料理が満喫出来るので、得しかないのだが。
サマーな後輩(仮名)と埼玉屋行きを決めた直後に、今度はDDVセンパイ(仮名)から、埼玉屋に行こうとお誘いが来た。
聖地巡礼とは、高い頻度で行うべきものではない。と、私は思うのである。
これはまとめて3人で行っちゃおうと両者に提案、そんな訳でセンパイと後輩に挟まれて、3人で埼玉屋のカウンターに陣取った。
焼き場にはジュニア、そしてサポートはジュニアのジュニア。
激情型もつ焼き劇場の主役たる大将の姿が、カウンターの向う側に見えないのだった。
焼き物が一段落したジュニアに、大将はまた腰でも痛めちゃったの?と尋ねると、奥にいるよ、と予想外の答えが帰ってきたのだった。
そして、ステーキ、レバーステーキ、煮込み、などの一品料理を、奥から大将が運んできて、私は大いに驚いたのだった。
研究と研鑽。
串以外の一品料理も、大将が発明した埼玉屋でしか味わうことのない逸品揃いだ。
「スペイン風に仕上げたんだよ。食べてみてよ」
レバーステーキが初めてメニューに並んだ頃、大将はそう言って我々に勧めてくれたのだった。
だから分かりますよ、大将はまだまだ現役だし、研究と研鑽を続け、旨い料理と酒を追い求め続けるに違いないと。
一方で劇場の主役は、ジュニアに譲ることに決めたのだと。
三世代揃い踏みの埼玉屋のカウンターと厨房を見て、歴史は引き継がれ、この先も安泰だと頼もしくもあり、またどこか寂しくも感じると同時に、お母さん引退後はワンオペで誰にも引き継ぐことの出来ない神業を黙々と続ける赤羽米山のマスターを思い出さずにはいられなかった。
今度はもうひとつの聖地、赤羽に巡礼だ。