Everything in Its Right Place

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讃岐屋(護国寺)

護国寺の形成外科で恒例の腰と下半身のリハビリを終えたら、うどんの讃岐屋へGo!

 

店内はほぼ満席で、店員さんに促され独りでうどんをすすっている若いお嬢さんと相席に。


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本日のお目当てはこちら、カレーライス700円也。

小麦粉感が強く、蕎麦屋のカレー的な趣もなきにしもあらずだが、カレールーがぬるくて、私が通っていた高校の学食の不味いカレーを、35年の時を超えて鮮やかにリマインドさせるB級、いやC級の味だった。

大学時代と高校時代の全ての記憶を消去したいと願う私には、ノスタルジーというよりも実に迷惑な味と言えよう。

 

しかしこのカレーをうどんにかけて、生卵でも落とせば、B級グルメカレーうどんになりそうだな。

機会があらば、試してみよう。

 

さて、独りでうどんをすすっていた若いお嬢さん、その凛とした佇まいと渋い店のチョイスと群れない姿勢を含めて好感を持っていたのだが、食べ終わっても延々とスマホを弄っていて一向に帰らないのであった。

その間に満席の店内を見て帰った客が二人いたことを、入口から最も近くに座っていた彼女が気付かないはずはなかろう。

私のなかで、一気に彼女は最底辺の糞ブスに格下げとなった。

マナーにうるさいサマーな後輩(仮名)なら、怒鳴りつけるかもしれない。

赤羽米山のマスターなら、「姉ちゃん、食事が済んだのなら帰ってくれねぇかな?狭い店なもんで。」と自虐を交えて注意するに違いない。

しかし、気の弱い私は、眉をひそめて一瞥くれて、彼女より先に会計を済ませて店を出るのみだ。次のお客と、店の売上のために、四の五の言わず、余計なことを考えず、速やかに店を出ることこそ最善の策だ。

 

精神的な貧しさと、民度の低さ。

こういうところからも、日本の凋落を感じますな。

中国共産党に大いに問題があるにしても、北京オリンピックのジャッジに不可解な点があろうとも、そして往々にして我々日本人は中国人の民度は低いとみなしがちだが、四川省成都の街では人々は日本より余程他人に思いやりがあった。

日本しか知らないとか、日本しか見えないというのは、やはり良くないな。

うどん屋で世界に想いを馳せるというのも妙な話ではあるが。