Everything in Its Right Place(SUB3.5 or DIE)

マラソン(PB3:36:04)、バンド(ベース担当)、海外独り旅、酒、釣り(最近ご無沙汰)をこよなく愛する後期中年者の日常。

鰻と犬

亡き父の誕生日、の翌日、実家で年老いた母に出前の鰻を振る舞った。

父の生前は毎年私の好きな寿司屋で一席設けていたのだが、コロナ感染も高止まりしているなか、わざわざ母親を電車に乗せて寿司屋まで呼び寄せるのも気が向かない。

それに、入院していた父親が、結果的に最後の一時退院となり1日だけ自宅に戻った日の夜に、まさにこの店の鰻を食べたという。

幸せの黄色いハンカチとは真逆の、最後の娑婆の食事がこれだったわけだ。
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なんの変哲もない住宅街の鰻屋としては、かなり良質な鰻を提供する。

実に旨い。

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ふくちゃん、という新しい名前をもらった保護犬は、この2日前にトリミングをしてボサボサだった毛がすっきりとし、顔がよく見えるようになっていた。

名前を呼ぶと、嬉しそうに走ってくる。

表情は豊かで穏やかになり、誰にでもなつく。そう、鰻屋の出前の男性にすら愛想を振り撒く犬に生まれ変わっていた。

前回会った時には終始垂れ下がっていた尻尾をブンブン振り、顔は笑っているように見える。自分を取り巻く新しい環境が、とても安全なのだと理解したのだろう。

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犬にしては珍しく、抱かれるのも好きなようだ。


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撫でられるのは、もっと好きなようだ。


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呼ぶとこちらをじっと見る。

 

今年5月に亡くなった猫が、晩年まさにこのように抱っこを要求してたな。


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繁殖犬とは終始ケージに放り込まれているケースが殆どだという。

トイレのしつけもされていなければ、遊んでもらったことも(多分)殆どなければ、定期的に散歩に連れて行ってもらったこともなければ、あまり話し掛けられていなかったのだろう。

 

しかし、それらをひとつひとつ凄いスピード吸収し、トイレを覚え、外の歩き方を覚え、玩具で遊びをせがむこのを覚え、言葉を次々に覚え、愛玩犬まっしぐらの保護犬ふくちゃんである。

数々のペット遍歴に基づく経験から判断するに、この子は意外と頭が良さそうだ。


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父親がいなくなると、家にはそれなりに大きな空白ができ、なんだか家が広くて静かになったような感覚があったが、僅か5年しか一緒に暮らさなかった保護猫が亡くなっても、家の重力バランスは大きく崩れ、なんとも言えない違和感や喪失感があった。

 

それを1匹の犬が、見事なまでに埋めてくれた。

家の雰囲気は以前よりも段違いに明るくなり、年老いた母の毎日も以前とは比べ物にならないくらい楽しそうだ。

動物の持つ癒し力、賢い犬の持つ共感力、これらは本当に強くて貴い。

 

母親の寂しさを紛らわしてくれたら、との思いだけでお迎えした保護犬だが、結局私も癒されにちょくちょく実家に顔を出してしまうし、年齢を重ねるにしたがって疎遠になっていった孫たちが、ちょくちょく連絡したり遊びに来ているようである。

 

その名の通り、福を運んできてくれたようだ。