フレックスをフル活用して、サマーな後輩(仮名)と赤羽米山参詣。
開店5分前に到着すると、我々の前には6人の先客、賑やかな米山が戻りつつあるようだ。
この聖地に、数ヵ月に1度は巡礼しなくてはならない。
つまりは我々信者の勤めだ。
というと義務のようだが、孤高の店の至高の料理と酒を、その価値が分かる人間と分かち合いたい。
それが結果的に店への支持の表明にもなる、みんな幸せな構図だ。
ところで今、私が最も危惧しているのは、会社が加速度的に自閉化していることだ。
経営陣は独善的になり、次の経営陣を目指す輩は盲従し、結果として全体主義化も進行しているように思える。
私は常々思っているのだが、危機を感じるにも実は能力が必要なのだ。
自らに課していることは、ビジョンを持ち続けること。
そしてビジョンを共有出来る同志を大切にすることである。
聖地巡礼には、そういう見えざる目的もあるのだ。
この神がかった煮込みの旨さよ。
鰹出汁の醤油汁、中身はシロとコンニャクとネギだけ。
シンプル極まりないからこそ誤魔化しが一切効かない。
臭みは全くのゼロ、旨味しか感じない。
それでいてシロはあくまでも柔らかくトロトロの食感だ。神である。
マカロニサラダという何の変哲もない料理すらも、別格なのである。
裏メニューの梅炭酸。
しみじみと旨いんだ、これが。
世界最高峰のつくね。
もう何も言うことはない。
最高の料理と酒に舌鼓を打った我々は、再訪を誓って店を出た。