Everything in Its Right Place(SUB3.5 or DIE)

マラソン(PB3:36:04)、バンド(ベース担当)、海外独り旅(現在26ヵ国)、酒(ビール、ワイン、ウイスキー)、釣り(最近ご無沙汰)をこよなく愛する後期中年者の日常。

小田実「何でも見てやろう」読了

とんでもないものを読んでしまった。

というのが、読後の第一印象だ。

 

コロナ禍で私の生き甲斐である海外放浪が出来なくなり、一時買い漁った旅行本の中の1冊。

活字が小さいうえに分厚いので長らく放置していたのだが、もっと早く積ん読の山から掬い上げるべきだったかも。

いや、違うな、最後に真打登場というべきか。

何故なら今の積ん読の山には、これ以上旅行記の類いは無いのだ。

 

沢木耕太郎の「深夜特急」がバックパッカーのバイブルと呼ばれるのならば、バイブルを軽く超えてしまったこの本をなんと形容したらいいのだろう?

the bible of bibles?

 

小田実「何でも見てやろう」。

 

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小田実と言えば、朝まで生テレビでお馴染みの強面の評論家、そしてベ平連の代表という政治的イメージが強いのだが、作家という肩書きもある。

 

1958年、終戦からたった13年、サンフランシスコ講和条約が成立し日本が主権を回復してから僅か6年後に、こんな凄まじい旅をした日本人がいたとは!

フルブライト留学生としてアメリカに渡った筆者、アメリカの留学生活を終えてからは、1日1ドルの超貧乏旅行でヨーロッパ、アジアへ、計22ヶ国。

 

ところで沢木耕太郎の「深夜特急」は、1973年、筆者が26歳の時に出発した、ユーラシア大陸横断の貧乏旅行記だ。

私はこの本を約4年前の台湾旅行の時に読了したのだが、そのときに「遅れてきた中年には遅すぎる読書体験だった」との感想を抱いた。

つまり、40歳を過ぎてから、そして2010年代に入ってからバックパッカーになった私は、当時20代の若者だった沢木氏と40代の自分、1970年代の世界と現在の世界、という感性と感覚の違いから、今一つリアリティをもって物語の世界に入り込むことが出来なかった、と感じたのだ。

okcomputer.hatenablog.jp

 

しかし、沢木氏より15年も前に、しかも沢木氏が旅した時よりもよりも若い留学生として渡米した小田実の貧乏旅行記に、これ程うち震えたことで、この感想は誤ったものであったことが証明された。

 

最大の違いは、筆者の視点だろう。

 

「何でも見てやろう」という筆者の意図が現れたタイトルから感じられるのは、強い一人称だ。

しかし実際に筆者が見ている世界は個人の目であると同時に俯瞰であり、あらゆるもの対象化し、相対と総体で理解している。このモノの見方に、私はしばしばハッとしたのであった。

例えば1958年のアメリカはビートジェネレーションの真っ只中にあるわけだが、そしてバロウズの「裸のランチ」は小説も映画も苦手でこの世界には2度と近づくまいとかつて誓った私だが、小田氏は彼等の世界にドップリと浸かった結果、ビートとは幼児退行だと断言する。確かに、あれは新たな表現の形態ではなく、子供のラディカリズムとしてのエログロ、子供の夢想としてのシュールさと捉えれば、私にもストンと腑に落ちるのだった。

 

インドのスラムの描写も凄まじいものがあった。

カースト、不可触民、スラム、極貧、そしてそれがいくら目に入っても、欧米人には空気のように目に見えないという洞察。

凄いよね、としか言いようがない。

他に何て言えばいいのだ?

 

インドを訪れたら我が身に降りかかると予想される面倒なことを想像するに、私の脚は今までもこれからもインドに向かないのであったが、これを読んでしまった以上、わしもインドで考えねばならないのかもしれない。あ、それは椎名誠の本だけどね。


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若さと知性と勇気にみちた体当り世界紀行。

まさにその通り、付け加えるなら無鉄砲か。

興奮冷めやらぬ読者体験、そして随所に散りばめられたアフォリズム、時折適当に開いたページから再読しようと、この本はトイレに常備することにした。

 

オミクロン株の流行は依然深刻だが、世界の趨勢はコロナとの共存、規制の緩和へと向かっていることは間違いない。

 

若さはとうの昔に失い、知性と勇気は元々持ち合わせておらず、体当たりしたら死んでしまいそうな衰えし私だが、それでも出きる限りは私も私の目で色々と見てやろうと思う。

 

その日は遠くはないはずだ。