Everything in Its Right Place(SUB3.5 or DIE)

マラソン(PB3:36:04)、バンド(ベース担当)、海外独り旅(現在26ヵ国)、酒(ビール、ワイン、ウイスキー)、釣り(最近ご無沙汰)をこよなく愛する後期中年者の日常。フルマラソン・サブ3.5を本気で目指すことにしてしまった。

村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」読了

読み返したかったのだが断捨離で処分してしまった為に、文庫を買い直した。


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村上春樹著、「走ることについて語るときに僕の語ること」であります。

 

奥付をみると、ハードカバーで発売されたのは2007年10月。

ということは、私は2007年にこの本を読んだことは間違いない。

何故なら、当時の私は村上春樹の本は全て発売と同時に買って読むことが習慣となっていたからだ。

 

2007年。

既に今住んでいる家を購入していた。

そして走る習慣は全くなかった。

 

結構内容は覚えていたので、当時もそれなりに楽しく読んだと思われる。

しかし、自ら走る習慣が出来た今読み返してみると、印象は随分と異なる。

走ることは他人事ではなく、今では私の日常の一部であり、共感とか切実さとかリアリティが全く異なるのである。

 

サロマ湖ウルトラマラソンを完走した後に陥った、ランナーズ・ブルーと著者が呼ぶ、燃え尽き症候群のような状態が長く続いたところから、久し振りにアメリカに住むことになったことをきっかけにニューヨークシティマラソン目指して走る生活と悦びを取り戻していくところが本書のクライマックスだ。

 

しかし、万全と思われる準備をして臨んだそのレースは失敗に終わる。

フルマラソンは年に一度と決めている著者が、悔しさのあまりリベンジにボストンマラソンにもエントリーする。

我事のように思われ、ついつい応援しながら読み進める。

しかしこのレースも最後に失速して失敗に終わる。

現実は残酷だと言えるし、まるで小説のようにドラマチックであるとも言える。

 

このエッセイのようなノンフィクションを、著者自身はメモワール、つまり自伝と定義している。

彼のなかでは小説家であることと走ることを切り離すことが出来ず、つまり走ることは趣味と呼ぶにはいささか根源的過ぎることなのだろう。

 

私は今のところ、まだ無目的に表層的に走っている。

ビールが旨いこと、余分な贅肉が落ちて身軽に生きられること、コロナで後ろ向きになりがちな気持ちが前を向くこと(いや、冷静に考えると、コロナ云々に関係なく、私の思考は後ろを向きがちだ)、勿論それなりにメリットは享受しているけど、今の私が走ることについていくら熱く語っても、それはメモワール足り得ない。

 

しかし、それこそ村上春樹が好きなサマセット・モーム箴言、「どんな髭剃りにも哲学がある」というように、日常的に繰り返される極めて低い走力しかもたない私の、低レベルな走ることに、いつの日か哲学的な意味が付与されるかもしれない。

そんな風に背中を押された気がした読書体験だった。

 

継続は力なり、とりあえず明日もハシル。