吉野家へ行って牛丼を食べずに牛サラダを食べるということは、糖質を抑える効果以上に精神修養に役立つ気がする。
学生時代よく吉野家松屋論争なるものがあったのだが、私は牛丼なら吉野家一択、そもそもこの論争自体が横綱と幕下力士を比較するかのようにアホらしいという立場を、15の夜からとり続けている程の吉野家の牛丼ファンなのだ。
ちなみに定食とカレーは松屋に軍配が上がります。
あとすき家なんて序二段クラスだね。
それ故に、他人が旨そうに牛丼を食べている姿を横目に、ライザップ牛サラダを掻き込む苦行は、私を精神的に一回り成長させてくれたかもしれない。
しかしたまにはご褒美も必要なのですよ。
朝の定点観測で体脂肪率がついに10%を下回ったこの日、ご褒美に牛丼を自らにプレゼントした。
久し振りなので豪勢に、アタマの大盛に豚汁もつけちゃいましたよ、フフフ。
旨いなぁ~、米はなんて旨いんだぁ~。
誰かから金の無心をされた訳でもないのに、筋肉少女帯の「日本の米」宜しく外界を完全に遮断して牛丼の旨味に酔いしれる。
日々米を、牛丼を食べていたら決して味わうことの出来ない感動、飽食の時代にあって忘れがちだが、餓えとは最高の調味料なのだ。
という訳で、コロナ禍における様々な我慢も、見方によっては後の悦びを倍増させるスパイスであると捉えることも可能かもしれない。
健康な状態で緊急事態宣言解除を迎えることが出来たなら、赤羽に、東十条に、立会川に飲みに行こう。
世界が正常化したら、タイに、台湾に、アメリカに、まだ見ぬ国へ、旅立とう。
明るい未来を見据えて、しばしの我慢は続く。