季節外れの雪が舞った日曜日。
東京都知事から外出自粛要請が出ていたけど、私は思うところあって2日連続で自己研鑽の為に有楽町に出掛けた。
私の自己研鑽は不急かもしれないけれど、決して不要ではないのだ。
雪予報なんて大袈裟な。
例え降ったとしても小雪が舞うぐらいだろう?
と見積もって前日に予約を入れたのだが、外出が憚られる程の大雪、桜吹雪じゃなくて、単なる吹雪だ。
ま、写真には雪が上手く写ってませんけどね。
死を忘れるな。
そもそも、多くの日本人が桜を愛するのは、桜のサイクルそのものが生と死の象徴だったからではないのか。
そんな象徴の下で騒ぐことは、愚かな行為だし、冒涜のようにも思われ、私は常に一定の距離を置いてきた。
むしろ花見文化のせいで、桜が嫌いになった程だ。
しかし、静かな今年の桜はなかなか悪くないと思う。
無謀でもなく自暴自棄でもない。
静かな諦念としてのメメントモリ。
例えばそれは稀代の喜劇王が死のうとも、桜は例年通りに咲くということだ。
多くの商業施設が休業し、人通りの殆どない銀座の街もなんとなく死を連想させるものだったが、どちらかと言えば私は安らぎを覚えた。
さて、研鑽を終えた後、本当はプラチナ会員特典を華麗に行使すべくランチはいきなりステーキに行くつもりだったのだが、ここまで寒いと温かい麺をすすりたくなるというもの。
そんな訳で2日続けて神座へ。
ハッピーアワーのハッピービアー。
これまた2日連続のこんにゃくラーメン、小チャーシュー、煮卵、ネギトッピング。
旨い。
ところで、危機は権力者に利用されやすいとは、忌野清志郎の言葉だそうだ。
今さらながら思うが、彼には本質が見えていた。
確かに今、多くの権力者たちが自らの存在感を高める為に危機感を利用しているように見受けられる。
お前の発言中身あるの?
お前の会見がそもそも不要不急だろ?
清志郎とブルーハーツは平易な言葉で本質を突き、分かりやすい音楽でそのメッセージを拡散していた。つまりは麻痺からの覚醒を促す良薬なのだ。
義務教育のカリキュラムに加えて欲しいぐらいだが、生憎と権力者との親和性は低いので、無理な話だろう。
覚醒されたら困るのは権力者の方だもんね。
だからこその長期政権。
良い音楽、良い文章とは私にとってかけがえのないものだ。
大した曲は書けないけど、我等がバンドも同じぐらいかけがえのないものなんだけどね。
作品に差があるだけで、ベクトルは同じはずなのだ。
あらゆるものの本質を炙り出す。
意識していなかった感覚や認識を取り戻す。
価値あるものと無いものを仕訳する。
不謹慎かもしれないが、そして自身も周りにも罹患した人が居ないからこそ言えるのだが、私にとってはこれらはコロナ騒動が副次的にもたらせたプラスの側面と言えそうだ。