Everything in Its Right Place(SUB3.5 or DIE)

マラソン(PB3:36:04)、バンド(ベース担当)、海外独り旅、酒、釣り(最近ご無沙汰)をこよなく愛する後期中年者の日常。

ウラジオストク放浪記~二日目

到着したばかりの昨夜の印象は、勿論寒いことは寒いのだが、覚悟した程でもないな、というもの。

しかしそれは長時間歩いていないからこその印象に過ぎなかった。

 

防寒対策に抜かりはなく、身体は寒さに対応出来ているのだが、剥き出しの顔の寒さだけはいかんともしがたい。

30分も歩くと、完全に顔の感覚が麻痺するのだった。

 

堪らず一旦ホテルに戻り、ネパールで購入した薄くて長いネックウォーマーを引っ張り出して、目の下までカバーした。

これだとメガネが曇るので、併せてコンタクトに変更。


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特徴的な形のロシア正教会

カラマーゾフの兄弟を思い出す。


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そして今回の旅のハイライト、凍結したスポーツ湾。


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凍っている海の上を歩く。勿論初めての経験である。

多くの釣り人の姿もある。f:id:OKComputer:20200209202223j:image

ターゲットはコマイですな。


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海から陸を見る。

不思議な気持ちだ、


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続いて訪れたのは引退した潜水艦。

100ルーブル払うと中に入れるのである。


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こんな感じで博物館のようになっている。


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船首寄りの操舵室はそのまま残されていた。


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これは船長室だろうか?


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スターリンの写真。ソ連の闇。


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ベッドと魚雷ですよ!


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魚雷を装填するところ。

重要な軍港としてソ連時代には外国人どころか余所者のロシア人の立ち入りさえも許されなかったというウラジオストク、こんなところまでがオープンになっているなんて、ペレストロイカのお陰だよね、きっと。

スパシーバ、ゴルバチョフ

 

坂道を登って小高い丘にある鷲ノ巣展望台へ。


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ふーん、って感じ。

周りは韓国人観光客だらけで、なんとなくソウルにいるような気がしてきた。

 

ところで、ガチガチに氷結していたスポーツ湾から僅か数キロしか離れていないのに、この展望台の真下にある金角湾は、所々凍ってはいるものの氷結には至らず、なんと船が往来していたのだった。

海流の影響だろうか?

ロシア海軍悲願の不凍港としてウラジオストクが重用であったというのも妙に納得。

と言いたいところだけど、ここから外海へ向けて船が通れる航路はあるのだろうか?

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ちなみにこちらの銅像キリル文字を発明した人のものらしい。

誰が創ったのか分かっている文字というのも凄いね。ロシア人にとっては重要でしょう。

 

しかし暑いのが苦手な私だが、極寒の中の観光というのもなかなかにしんどい。

しょっちゅう心が折れ、街がコンパクトなのをいいことに、ちょいちょいホテルに戻ってコーヒーブレイクを挟みます。


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結局のところ、氷結したスポーツ湾こそが、私を魅了したのである。

 

ウラジオストクの西にあるスポーツ湾が、夕陽を見るにうってつけであることは、自明なのだった。

 

さて、今日の晩飯はやはりジョージア料理にしよう。

 

つづく。